こんにちは、江口紋乃(えぐちあやの)です。
私にとって今まで辛かった事が本当に多かった人生ですが、愛に気づくことが出来て世界のあたたかさに感動しました。
「人は変えられないよ、自分がまず変わらないと」と言ってきましたが
自分が変わったら人までも勝手に変化しちゃうんですね。
うまく言葉にできるかわかりませんが、今の段階での気づきを書いていこうと思います。
愛とは何なのか
愛されたい、愛されるためには、という方法論がたくさんありますが
「愛されたい」という気持ちって相手に求めているものであって
自分には「ない」ということになる。
自分に無いモノを相手から貰うということは「奪う」ことになる。
「私も愛しているんだからちょうだい」と交換条件になっていることもある。
愛とは、奪うものでもなければ条件付きのものでも無いんです。
愛は自分自身から溢れ出たときに周りをあたたかく包むものです。
愛そうと思って愛せるものではなく、泉から湧き出た水のように周りをゆっくりと包んでいくもの。
泉が空っぽな状態から周りにお水を分けようとすれば他で(自分以外で)汲んでくるしかなくなる。
他で(自分以外で)汲む作業をしているから、いつまでたっても相手に求めてしまったり付き合う男性が居ないと不安になったり人によっては暴飲暴食や衝動買い、遊びに走ることになってしまう。
「愛」とはそんな表面的なものでは埋まらない、もっと深いハートにある泉です。
自分自身を愛してあげることから始めてください。
自分を愛するとは
自分を愛するということは、本当の自分の声を聞いてあげるということです。
本当の自分の声が聞けた時、それを自分で叶えてあげるんです。
誰かにしてほしいと思うから泉は空っぽなままなんですね。
欲しいと思うから、「無い」状態が続きます。
本当は「在る」ことに気がつかないから、誰かにちょうだいというのです。
例えば、して欲しいと思ったことや相手に言いたいこと
「もっと女として扱って欲しい!」
「もっと優しくしてよ!雑に扱わないで!」
「もっと愛してよ!」
そう言いたくなった時
それは自分が自分に言っているんです。
この話をすると否定してくる人が居ますし、否定したくなる気持ちもわかりますす。
けどね、真実なんです。
愛して欲しいと思うから愛されない。
自分のことはないがしろにして相手のことばかり気にしてしまっていたり
自分自身を雑に扱っているから相手からも雑に扱われる現実が出来上がります。
愛して欲しいと願うとき、自分自身の愛に気づけないほど自分を無視していることになります。
自分を愛するとは、どこまでも自分の声に耳を傾けてあげることです。
本当は無理して誰かのために動いていないか?
認めてもらおうとしていないか?
しなければいけない、ことはありません。
褒められるためにやることは、しなくてもいいです。
初めは、エゴからの声なのかわからないと思います。
それでも大丈夫。わかるようになります。
愛はもうそこに在る
愛は、すでにここにあります。
気づくだけで見えている世界は本当にガラリと変わります。
我欲まみれの偽物のスピリチュアルが多い中、気づくことができる人は本当に少ないと思います。
しかし、あなたがここまで読んでくださったということは真の愛に気づくことができる人です。
そうじゃなければ抵抗感が生まれ読み進められません。
目に見えない世界だからこそ、しっかりと地に足をつけていくことのできる人が
これからの時代は生きやすくなっていきます。
そう言った面での二極化はすでに出来上がってきているなぁと感じています。
でも、焦らずに「在る」ことに気づくことが本当に大切なのです。