愛されたいのは「愛が欲しいわけではない」本当に欲しいのはその先に在るもの

こんにちは、江口紋乃(えぐちあやの)です。

愛について常々考えていることがあって、それを言語化しようとすると
結構難しくてなかなか説明に苦戦していたのですが
男運がない、とか男性に依存してしまう、とかたくさん相談を受けることで見えてきたものがあったので私なりの感覚で書いていこうと思います。

愛というと、「恋愛」と思われがちですがもっと深い所に行き着くとそれは自分の中で湧き上がる想念だということがわかります。

もっとわかりやすくいうと、個人で感じている「愛」の種類が違っていて「愛とは」という問いに人それぞれの価値観で決めたものがあると思うんですよね。
愛の哲学がそれぞれの価値観によって作られているんだと。

例えば、あなたが「愛とは誰かからもらうものである、愛する人(異性)に抱きしめられることである」というあなたなりの哲学を持っていたとすればそれがあなたにとって「愛」であり、「愛すること」になるんですね。

でも、別の人は「愛とは、子供を深く愛することでどんなことがあろうとこの子を守るのが愛だ」という哲学を持っていれば
「子供を大切に守り育ててこそ愛だ」となる。

愛の形は認識できるだけでもたくさんのものがありますが、個人の価値観によって大きく違いがあります。

なぜ違いが生まれるのかというと、生まれてからの環境、人間関係、本人の学びや気づきによって大きく変わっていくからです。

生まれた環境によって愛情を受けられなかった子供は大人になった時に別の人から愛情をもらおうとします。

それも本人の学びなので、大人になって誰かに愛情を求めていてもなかなかうまく行かないと気づき、本当に求めていたのはなんだったのかと自分自身に問い始めます。

それが、他者に求めるのをやめる時で愛は自分自身から溢れていくものだと気付く時を迎えるのです。

そこまでいくまでにはたくさんの辛い体験をしてしまうのが人間です。
しかし、愛情を受けられなかった子供が自然に愛を知ることもあります。

親の愛情は受けられなかった子供がいても、その周りの人たちから愛情を感じていたりすると愛についての哲学が変わったりします。

そこには誰も悪くはないという前提があるとすれば、親もまたその親からの愛情がわからずにいたかもしれないのです。

その連鎖というものを終わらせるために、あなたはこの記事を読んでいるのかもしれません。

愛とはつまり何なのか

「愛」とは、もうすでに持っているもので誰かからもらうものではない。
けど、そこまでに行き着くには他の人の愛を知ることもいいのかもしれない 。

その道の途中にいる方にヒントになることを書くとすれば、あなたが欲しいのは愛ではないということです。

愛と思っているものは、あなたが欲しかった表現なのではないかと思うのです。

表現という愛のカタチ、

もっと優しくしてほしい
もっと抱きしめて欲しい
もっと大切に扱って欲しい
私なんて価値はない
私なんて都合のいい女
私なんて愛されていないのよ…

そんな心の声の表現には愛してほしいという言葉ひとつになっています。
あなたの求めているものは、愛のその向こうにあるもっと別のものなのです。

だから、いつまでも「愛は満たされない」のです。

愛が欲しいのではなく、「愛によって表現されるもの」がほしいのです。

それに気づかないようにしてしまっているのが、「執着」です。

 

過去の辛い体験、過去の悲しい体験、過去の関わった人への恨み、過去におかれた環境
その過去への執着が被さっているから
愛がよく分からなくなってしまっているのです。

 

これが愛だと信じているものがどんなものなのか、それを知ることが愛を知ることになります。

本当に欲しい愛を見つけるために泣いている

心の中ではごめんなさいと泣いている。

こんな私でごめんなさい、何もできなくてごめんなさい、価値のない私でごめんなさい、役に立てない私でごめんなさい・・・

専門用語では、インナーチャイルドと言われたりするあなたの中の小さなあなたが、小さい頃に欲しかったものを今、無意識に求めているのです。

トラウマとか言われるものもありますが過去に起きた出来事の体験が強く脳に焼き付いてしまいその時に感じた感情と共にインプットされている状態だと私は解釈しています。

人間は感情で記憶するものなので、楽しかった出来事や悲しかった出来事などを昨日のことのように覚えているものです。

トラウマはそれが臨場感を増した状態で感覚として蘇ってしまうのだと思います。

そのような過去の出来事を体験として受け入れることができない状態が、執着となって現在も無意識に残ってしまっています。

無意識なので、本人は気づいていないことも多く本当に必要なアプローチができずにいるのです。

本当に欲しいものが、あなたが「愛だと信じている何か」だと思い込んでいて「愛されるための心理学」や「男性をうまくコントロールする方法」を学んでいたとしても本当にあなたが欲しかった「愛の向こう側にある表現」がもらえるようになった時にしか満たされることはありません。

「愛とはなんなのか」を突き詰めていくと、「愛は自分の中にある」ことに気づきます。
これが本当の愛です。

わかりやすくいうと、「愛について辛くなったり悩んだりしなくてもいい状態」になるということです。

「愛されたい」とか「愛されている」とか「愛している」とかその愛によってされる表現を求めなくなる状態というのが「すでに愛は在る」という状態なのです。

キリストチックに聞こえるかもしれませんが、インド聖者の哲学や釈迦、心理学やヒーリングや脳科学もアプローチの仕方や言葉が違うだけでみんな根本は同じです。

思考にアプローチするのか、心にアプローチするのか、自我なのか魂なのか、肉体なのか、その違いです。

話を戻して、ではどうやって「愛について悩まなくてもいい状態」にすればいいのか?ということなのですがそれは「あなたの思考クセを発見し滞りをよくしてあげる」ことでその状態に持っていくことができます。

 

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